多くの地球の人々は幸せを感じると「こんなに幸せでいいのだろうか」と思う。
それはすなわち「自分はこの幸せに値する人間なんだろうか」
とすかさず、自分に問いかけているのである。

そして同時に、自身がこれまでやってきたこと、
もしくはやらなかったことなどに対して、自分を裁き始める。

もう許されるべきことについても
延々と自己批判を行い続けている理性の自我がいるとすると結果
「自分はこの幸せに値しない=よって受け取る価値はない」
という結論をはじき出し、幸せを拒否しようとする。

もしくは、批判ばかりをする人、
自分の内に繋がることを拒否している人々の近くにいるとあなたは
「自分は幸せを受け取る価値はない人間なんだ」
という彼らの発する有害なエネルギーの影響を受けることにもなる。
あなたがよほど強く「あなた」を保たない限り。そして幸せを受け容れることに対して恐れを感じるのだ。
「幸せすぎて 怖い」という自我の巧妙なメカニズムである。

宇宙はあなたを裁いているだろうか?
夜空の星は、太陽は、あなたを裁いて光を送るのを止めたことはあっただろうか?

あなたが幸せを受け取るに値しないと想うならば、一体何をすればあなたは、
あなたを「幸せを受け取ってもいい人」に昇格させられるのだろうか?

それはもしかしたら、誰かに心から謝ることかもしれないし、
自分は悪い人じゃなかったと気づいて自分を心から許すことかもしれない。

自分を裁くその存在を知ることはすなわち、自分の内に向かうことでしか達成できない。

一般的に現代社会は自己の内に向かわせないようにする
外からの刺激、仕掛けが多すぎて、そんなことは必要のないことのように扱われ、
多くの人々が内との繋がりを絶ってしまった。

内との繋がりに立ち返らない人々は苦しんでもがく。
そしてその分離が、苦しみを生み出していることに気づかない。

静かに自然に自分を重ねた時に、どんな優しい声が聞こえるだろうか。
どんな力強い声が聞こえるだろうか。

内に繋がることは怖いことではなく
むしろ本当の自分と繋がるこれ以上ないパワフルで愛に溢れたものであるが

長い間放置していた人にとっては内に繋がることはとてつもない、恐怖でもある。

その恐れを超えて、内側の自分と向き合い繋がる時、ようやく人は本来の地球に、
自分に帰ることができるのである。

 


2018年からは、まったく新しい次元・世界に導かれていると
感じ始めている人も増えていることでしょう。
それは、まるでこれまで積み上げたブロックを壊して新しく積み上げる作業のような流れです。
しかしこれまでと同じ構想や発想では、もう創ることができないため、

強制的にも、それをもう変えなければならない

もう機能しないものは手放さなければ自由に身動きできない
変えなければならない

でもどうやって?どの方向に?

自我はそんな風に忙しく思うでしょう。
地球はとにかく動いて、体験をし、そして答えにたどり着く場所です。

人生ゲームは、一つひとつ違った体験があるからこそ、
ゴールにたどり着くのが楽しいのであって、スタートから
次のマス目がいきなりゴールだったらなんの楽しみもありません。

心を動かす感情、感覚、衝動を追うように、恐れず、ついていきましょう。
理由や説明をいつも求める自我は「恐れ」からなんでも知りたがりますが。
それがどんな結果をもたらしても、あなたの心が晴れ晴れとすっきりすることならば

「やっておけばよかった」
「あの時、あっちを選んでおけばよかった」
という後悔は生まれないのです。

だから大丈夫なんだよと自我に伝えながら、すっきりする方へ、自分らしく在れる方向へ進んでいくことです。

 


走りたくても歩かなければならないときや
立ち止まらなければならないとき
歩きたいのに走らなければならないときも
立ち止まることすらできないときも人生にはある

そのすべてに宇宙からの自然な力が働いているからだと完全に受け入れることができれば
どんなにか、人は楽になれることだろう
しかしすべての意味を今すぐ知ることはできない
ただ、その意味や答えはやがて、やってくる

だから過去や未来に生きるのではなく
今に生きること 今できる ベストを尽くせば
あなたにとってのベストな答えに 必ず たどり着くのだから

 


心が張り裂けそうに理不尽な出来事の数々に、あなたは本当によく耐えました。

たとえ何千人、何万人があなたの真実を知ることがなくても、
たった一つのあなたの広大な宇宙には、
あなたの魂の輝きが、まばゆいばかりの星となって輝いているのです。

美しい、あなたの潔さ、純粋さ、大きな心を
あなたの宇宙は称え、時には雨となって共に泣き、心躍るような美しい空となって共に歌っているのです。

 


傷つけられることを恐れ、無理解や誤解に苦しめられることを恐れて

今度こそは我が心を守ろうとかたくなに閉ざしていたあなたは
それでももう一度だけ人を信じてみようと心を開いた

それは本当に大きな勇気だったことでしょう
それなのにこれまで体験したことがないほど、ズタズタになりました

それは愚かなことだったのでしょうか?

いいえ、私はあなたがどれほど用心深く
あなた自身を今度こそはしっかり守ろうと大切に大切に、歩いてきたのかをしっている

あなたは、自我が路頭に迷い帰り道を忘れてしまうかもしれないのに
愛を信じて、心を開き、体験に飛び込んだ勇者なのです

悲しみや屈辱を味わいつくしあなたの心に勝ち取ったのは
他への共感や慈愛、真我とのさらなる強固な絆なのです

 


無い自分が、在る自分を感じるがため、いろんな葛藤や試練を創りだす。
在る自分、すなわち自我が息切れするような時、真我の自分にまず戻らなければならない。

なぜなら、自我という仮の姿に惑わされているだけなのだから。

自我の視る幻想の世界から、真我に引き戻し、
真我から自我を丁寧に、我が子のように扱っていく。
その関係性が幻想の世界のすべてを変えていくのだ。

真我がいつの間にか、大人の自我(理性の自我)にすり替わることがある

それを真我だと思いこんでいるあなたがいる

真我は慈愛や至福、ポジティブな意識そのものである。
それは大人の自我とは違うものだ。

大人の自我は当然ながら、真我のほんの一部である。

真我の自分に繋がるには瞑想こそ大切だが、
そこに「感じる」という心がなければ、繋がることはできない。

すなわち、「思い浮かべるだけ」では
自我はすでに真我の領域に包まれていると自覚することはできないのだ。

地球には他にも色とりどりの方法がある。
自然はいつもあなたの姿を見せてくれているし、
至福の境地に誘うリラクゼーションもたくさんある。

真我に完全に繋がると至福を感じ、絶対的な安心を感じ、
相手の中に仏の姿をみることができる。

暴れていた自我は絶対的な愛と信頼に包まれ、
真我の愛の中に自信や自己肯定感を育んでいく。

なぜなら、あなたのために、あなたの周りのすべてが存在しているのだから。
在る自分、無い自分。本来それだけである。

こんなこと知っている、こんなこと何度もやってきたんだ、もう見る必要なんてない。
自分は全部分かっているのだから。と自我は言う。
あなたのプライドは言う。

しかし、あなたが何度もやってきたと思いこんでいる自我の内観とは
一体、真我の眼からであったのだろうか?

あなたは、創造主である真我を実感するとは、会得するとはどういうことか、お分かりだろうか?
シンプルで当たり前だと思うことを軽視せず、ハートを開いて素直にそのまま感じてみよう。
もっと深く、もっと丁寧に。

偏見、恐れ、判断、比較、プライド、傲慢・・
そんな固定観念を脇に置くことは難しいかもしれない。

しかし、それをやってみることで、初めてハートが開く。
こんなこと、知っていたつもりだったのに・・・とあなたはきっとようやく心眼を開くだろう。

答えはいつもすべてあなたの中にしかないのだから
あなたの宇宙は創造主である
あなたひとりなのだから

 


地球での多すぎる情報に惑わされ過ぎず
あなたはあなたの日々をていねいに生きましょう。

目の前のことに向き合い、
自分や相手の気持ちに寄り添って今あなたができるベストを尽くす。

早くこうしなければ・・・
早く決断しなければ・・
でなければ、新しい流れに乗れない・・・など

さまざまにあなたを煽るような情報や何かを変えなくてはと焦る気持ちに振りまわされず、
いつでも、何にも振り回されず、変わることなくあなたを見守る大空や自然に感謝して、

静かに繋がる時間の中で自分はどんな道をこれから歩いていきたいのか、
そのために、今すべきことは何なのか、今日あなたは何がしたいのか・・
どんなふうに過ごしたいのか・・を心に訊いてみましょう。

気づいたことを一つずつ丁寧にやっていくことで、毎日、新しい瞬間を生き直すことができるのです。
新たな地球にワープすることができるのです。

あなたがもっと幸せになるために宇宙は完璧なシナリオを用意していますから、大丈夫。
あなたが別次元へ移行するときには、これまで、あなたが日々をどのように生きたか、
そして、他人とどのように関わって生きたのか・・しか持っていくことはできないのですから。

だとしたら、地球であとは何をやり残していますか?

 


悟りとは、ただ微笑を浮かべながら静かに平常心を保ち続けることではない

悟りとは、地球で感情を通してさまざまな体験を遊んでいるのだと悟っていることであり、その遊びを恐れないことであり、自分をありのまま生きることを恥じないことでもある

そしてまた、遊びから常に戻るべき自身の軸を分かっており
その軸にあらゆる自我が重なるとき、絶対的な至福と平穏が不変であることを常に体験していることである

また、地球人としての自分だけが自分ではないと知っていることであり、
目に見える世界は夢の一部だと悟っており、

宇宙には愛しかないと体験を通して確実に信頼していることなのである

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